海馬硬化を伴う内側側頭葉てんかん(指定難病141)

かいばこうかをともなうないそくそくとうようてんかん
 

(概要、臨床調査個人票の一覧は、こちらにあります。)

1. 「海馬硬化を伴う内側側頭葉てんかん」とはどのような病気ですか

てんかんの焦点を側頭葉の内側にもつ部分てんかんで、側頭葉の内側にある海馬という組織に硬化がみられるものです。推定される病因、臨床経過、発作症状、脳波所見、画像所見などがおおむね共通しています。上腹部不快感などの前兆、自動症を伴う意識減損発作を認めます(症状については、6で詳しく記します)。お薬で発作を抑えるのは困難なことが多いですが、海馬の硬化が片側のみにみられる場合は外科的治療によって発作を抑えられることが多いです。

2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか

正確な疫学は不明ですが、本邦では50,000人くらい、そのうち両側性に海馬硬化がみられる人は5,000人くらいと推定されます。

3. この病気はどのような人に多いのですか

4-5 歳以下の乳幼児期に熱性けいれん、熱性けいれん重積、外傷、低酸素性脳症、中枢神経感染症などの既往をもつ患者さんが多いですが、全例ではありません。

4. この病気の原因はわかっているのですか

海馬硬化の原因と推測されるできごととして、熱性けいれん、熱性けいれん重積、外傷、低酸素性脳症、中枢神経感染症などがありますが、何もないこともあり、年齢、遺伝負因、形成障害など、多くの要因も複雑に関与して、海馬硬化、およびてんかん原性が獲得されると考えられます。

5. この病気は遺伝するのですか

てんかんの家族歴を持つ人はいますが、特に遺伝しやすいというわけではありません。一方、 家族性 内側側頭葉てんかんの報告があり、多くはないものの、遺伝するものもあることが知られています。なお、熱性けいれんをきたしやすい要因には遺伝性が考えられます。

6. この病気ではどのような症状がおきますか

意識を失うてんかん発作が主症状です。意識を失う前に、あるいは単独で、上腹部のこみあげるような不快感、恐怖感、あるいは既視感などの前兆といわれる症状がみられることがしばしばあります。意識を失った段階では、口をモグモグと動かす、あるいはその場の状況にそぐわない仕草を示す自動症という症状を示すことがあります。発作後の意識の回復はゆるやかで、もうろう状態を呈し、意識がはっきりするまで数分かかることもしばしばです。時に全身けいれんに至ることがあります。
記憶障害などの 認知機能 障害や、抑うつ、精神病などの精神医学的障害を伴うこともあります。

7. この病気にはどのような治療法がありますか

抗てんかん薬による薬物治療によって、発作がいったんおさまることもありますが、再発すると、薬で完全に発作を抑えるのは困難なことが多いです。一側性の海馬硬化の場合、扁桃体、海馬および海馬傍回を含む側頭葉内側構造を外科的に切除することにより約80%の患者さんで発作は消失しますが、両側性の海馬硬化では外科的治療は難しく、また、術後も発作が抑制されない場合には発作抑制は非常に困難です。

8. この病気はどういう経過をたどるのですか

発作の発症は4-16歳頃(平均10歳頃)が多く、当初は抗てんかん薬治療により抑制されることも少なくありませんが、その後再発すると難治に経過します。一側性の海馬硬化の場合は、扁桃体、海馬および海馬傍回を含む側頭葉内側構造を外科的に切除することにより約80%の症例で発作は消失しますが、両側性での外科的治療は難しいと考えられています。また、なんらかの理由で外科的治療を受けられない場合、もしくは外科的治療においても発作が抑制されなかった場合には 予後 はあまりよくありません。

9. この病気は日常生活でどのような注意が必要ですか

意識を失う発作が起こった場合は、身の回りの危険に対処することができません。意識を失う発作のある方では車の運転をすることはできません。また、入浴中の溺水や、料理中の火傷など、日常生活での発作による事故に注意を払う必要があります。

10. 次の病名はこの病気の別名又はこの病気に含まれる、あるいは深く関連する病名です。 ただし、これらの病気(病名)であっても医療費助成の対象とならないこともありますので、主治医に相談してください。

該当する病名はありません。

11.  この病気に関する資料・関連リンク

日本てんかん学会編、てんかん専門医ガイドブック改訂第2版、pp284-286、診断と治療社、東京、2020。
日本てんかん学会編。稀少てんかんの診療指標、pp79-81、診断と治療社、東京、2017。

 

情報提供者
研究班名 稀少てんかんの診療指針と包括医療の研究班
研究班名簿 研究班ホームページ
情報更新日 令和4年12月(名簿更新:令和5年6月)