ADH(抗利尿ホルモン)は、腎臓で作られる尿の量が多くなり過ぎて体内の水分が不足することのないように、ちょうど水道の蛇口をしめるような作用を持つ生命にとって最も重要なホルモンの一つです。このホルモンの分泌量が適量であれば体の水のたまり具合が正常に保たれますが、もし不足すれば中枢性尿崩症という一日の尿量が10リットルにもなるような病気を、また多すぎればSIADH(ADHの分泌過剰症)という水が貯まりすぎて体液が薄くなる病気がそれぞれ発生します。ADHは脳の中の視床下部という場所で合成され、下垂体の後葉から血中に分泌されるホルモンで、腎臓の尿細管という場所で水を取り込む作用を発揮します。 中枢性尿崩症では、尿が近くなりすぐにトイレに行きたくなり(頻尿)、大量に色のない尿(多尿)が出るようになるため夜も満足に寝ていることができなくなります。また、のどの渇き(口渇)や口の中のねばねば感、水のがぶのみ(多飲)が発生するため、患者さん自身が変調に気がつくことが多い病気です。 SIADHでは患者さんが気がつく分かりやすい症状はまずありません。このため病院などの検査時に、水分が貯まりすぎていることを示す低ナトリウム血症として発見されることがほとんどです。
1999年の厚生労働省の全国調査では中枢性尿崩症の患者数は4,700人であり、中枢性尿崩症の治療に使用する薬剤の消費量から推定した患者数は6,200人(2006年)という結果でした。一方、SIADHの患者数推計は1,700人でしたが、SIADHは発見や診断がむずかしいこともあり、米国などの報告から見ると実数としてはこの10倍前後が1年間に発生している可能性が考えられます。
中枢性尿崩症は1999年の調査では40才未満の患者さんが約3/4と幼児から若年層が多数を占め、男女比は1:1.5でした。SIADHについて詳細な調査結果はありませんが、年齢層は中枢性尿崩症に比べ高く男女差はないことが一般的です。
中枢性尿崩症はその原因により、1)脳腫瘍、外傷などの視床下部や下垂体を傷害する原因(腫瘍など)がもとになり二次的に発生する続発性中枢性尿崩症(約60%と最も多い)、2)種々の検査で脳腫瘍など原因となるものが見あたらない特発性中枢性尿崩症(約40%)、3)遺伝性に発症する家族性中枢性尿崩症(約1%)の3群に分かれます。 SIADHの病因は、1)肺癌などの癌がADHを勝手に産生する場合、2)脳の病気(中枢神経疾患)あるいは肺の疾患がもとになり、ADHの分泌を調節する機能が異常になり、ADHの分泌を止められなくなる状態などに分かれます。
中枢性尿崩症の中で約1%に見られる家族性に発生するものを除けば、他の中枢性尿崩症やSIADHでは遺伝することはないと考えていいでしょう。
中枢性尿崩症では多尿、口渇、多飲が主な症状で、その他に、皮膚や口の中の乾燥(ねばねば感)、微熱(汗が出にくいため)、食欲不振などがよく起こります。典型的な場合には、1日の尿量は10〜15リットルにもなります。多尿や口渇は糖尿病の症状としても出てくることがあるため、糖尿病を心配されて病院を受診される場合もありますが、尿の中の糖や浸透圧(尿の濃さ)を検査することで簡単に区別できます。中枢性尿崩症では睡眠中も排尿が1−2時間毎にあり、そのたびに水を飲むため睡眠障害も起こします。この病気では脱水傾向になりやすく、夏季でも汗が出ないとか舌がからからになることがあります。小児では夜尿症として見つかることもあります。続発性中枢性尿崩症では脳腫瘍などの原因となる疾患があるため、腫瘍の症状(頭痛、ものが見にくくなるなど)が同時に出てくることがあります。 SIADHは通常定まった症状がないため、患者さんにとっても医師にとっても気がつきにくい病気です。急激に起これば脳浮腫により、けいれんなどの症状が出ることもありますが、ほとんどの場合は血液の検査で、血中の電解質であるナトリウム値が低いことからこの疾患を疑うことになります。
中枢性尿崩症の治療は、不足しているADHを補う目的で、人工的に合成して作られたADHとよく似た構造を持つDDAVP(デスモプレシン)の投与により尿量を減少させることができます。デスモプレシンは口から飲むと通常は消化酵素で壊されて効かなくなるため、鼻の粘膜に投与します。そのためデスモプレシンは点鼻液あるいは点鼻スプレーという患者さんにとっては不便な形で使用することになります。世界各国ではデスモプレシンの量などを工夫し、口から飲んでも効くような錠剤が広く使用されていますが、日本では残念ながらまだ認可されておらず患者さんのQOLの向上目的で今後早い時期に日本へ導入されるよう学会などで努力しています。 SIADHの治療の原則は、体に過剰に貯まった水分を飲水制限(800ml/日程度)で減少させることが基本です。けいれんなどの神経症状がある場合などでは濃いめの食塩水(高張食塩水)の投与により血中のナトリウム値を上昇させること(補正)がありますが、適正な補正の速度を決めることは容易ではなく、時に橋中心髄鞘崩壊というような脳の合併症を引き起こすこともあるため、慎重な処置が必要です。わが国では2006年秋にフィズリンという名前のSIADHに対して特異的に効く治療薬が使用できるようになりましたが、内分泌専門医などその使用に習熟した医師により治療する必要があります。
中枢性尿崩症の症状は生涯続くことがほとんどですが、デスモプレシンの使用により尿量をうまく調節さえできれば寿命に影響することはなく、生活もほぼ普通通りにできます。ただし、中枢性尿崩症の60%は脳腫瘍などの原因疾患をもつため、これら原因疾患の経過によって大きく左右されます。 SIADHも多くの場合何らかの原因疾患を持っているので、その経過に影響されることがほとんどです。